BLOG BY YUTO

キリスト教について 信仰 証しなど

私の軛は負いやすく、私の荷は軽い

 最近は愛についての御言葉が多いですが、神様の愛を感じられていますか。

 神様以外のものから愛を受けることは罪なのですが、私生活に溺れていると神様に集中せずに別のことに意識が行ってしまいがちです。

 しかし、神様以外の愛というのは掴むのがとても大変です。これも御言葉で出ていることですが、人間の機嫌は変わりやすく、そこで異性や子供の機嫌に合わせることはとても大変です。ある意味テクニックが必要です。

 しかし、神様の愛の法則は不変で永遠です。イエスキリストも「私の軛を負い、私に学びなさい。そうすればあなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイによる福音書 11章)と言われています。

 捨てるべきものを捨てて一筋の愛で神様を愛するべきだと思いました。

罪と霊

 罪を犯すと堕落してしまい霊がサタンのように変質してしまうというのはRAPTさんの御言葉でたくさん言われてきたことですが、自分が堕落するだけでなく自分が人を堕落するように誘惑したことについて考えたことはありますか?

 これは私が最近啓示者の啓示を読んで悟ったことなのですが、私も自分の罪について悩まされてきました。罪は中毒になり体質化してしまいなかなか抜け出せなくなります。そんな罪に悩んでいた時、以前私は人を自分と同じ罪に誘惑してきたことがあったことを思い出しました。自分が堕落しただけでなく、人を誘惑するということは霊だけでなく肉体までサタンとなってしまったということに気づきました。

 なかなか罪から抜け出せない理由がわかりました。皆さんも自分の見えない罪について悟ることを切に願います。

聖三位について

 三位について考えることも大事かなと思いました。

 2000年前はイエス様が亡くなったあと、弟子たちは聖霊を強く感じ様々な働きをしたわけですが、この時代は聖三位が強く働く時代ですので我々はとても恵まれています。

 祈りの時でなく普段から聖三位を意識することが重要だと思いました。

 

明日のことまで思い悩むな

 聖書には「思い悩むな」と書かれてあります。長いので部分的に紹介しますが、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」「明日のことまで思い悩むな」とイエス様は言われました。また、「何よりまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われました。

 最初にこの聖句を読んだとき、意味がよくわかりませんでした。しかし、最近は少しずつ分かるようになってきました。人間は自分の人生を考えるとき深く考えすぎてしまいます。そして、それが不安になることもあります。

 しかし、人間の力でやろうとすると失敗しますし、またそれは神様の御心に適っていません。だから、思い悩むのではなく神の義を求めなさいと書かれてあるわけです。RAPTさんの宣布する御言葉でも何度も出ていますが、プライドや二心があると御心からずれてしまいます。昨日も書きましたが、そのために4本の信仰の柱があります。

4本の信仰の柱の重要性

 4本の信仰の柱は重要だなと最近思いました。

 たとえ聖霊を感じてもそれを神様のために使わないと無駄になってしまいます。その方向性がずれないためにも4本の信仰の柱をきちんと立てないといけないなと思いました。

 それに我々の時間は限られています。1日は24時間しかありませんし、生涯100年も生きられる人はそんなに多くありません。限られた時間で自分のやりたいことができる時間はどれだけ残されているでしょうか。あまり多くないと思います。最近の御言葉でも、4本の信仰の柱を人生の楽しみとしなさいとありましたがまさにその通りだと思いました。そうすれば自分のやり方が間違うことはないからです。

 皆さんもきちんと4本の信仰の柱を立てて、神様との愛の関係をより深められることをお祈りしています。

 

祝祭の日 レストランでの出来事

 今日は11月11日 主の祝祭の日です。私は浜辺に行き賛美をしたあと、レストランに行きました。

 予約はしていなかったのですが、予め決めておいたイタリアンのレストランに行きました。

 私はコーヒーを注文しようと思ったのですが、パスタを注文した時サービスでコーヒーがついてくると言われ、結局コーヒー代はかかりませんでした。

 そういえば朝、浜辺に向かう前にコーヒー飲みたいと思いながら飲まずに出かけたことをレストランで飲みながら思い出しました。

 主からのプレゼントなのかなと思いました。皆さんはどんな一日を過ごしましたか。

神様との出会い part2

「神様との出会い part1」では、私が陰謀論からRAPTブログに出会いそして、神様に出会ったことを紹介しましたが、今回は別の角度からお話したいと思います。

 

atipha.hatenablog.com

私はまず新約聖書から読み始めたのですが、聖書にはたくさんの罪が書かれています。そして、今考えれば聖書に出会う前、私の生活は罪だらけでした。

 高校生の時、とても嫌いな人がいて憎んでいました。また、私は幼いとき病気になり、そのせいで家族が別の宗教に入ってしまいました。その当時はそこまで悪い宗教ではないと思っていたのですが、やっていることは偶像崇拝でお金もかなり取られました。中学生のとき恋愛もしました。ほかにも罪はあるのですが、そのような生活が続いたせいで霊魂が腐り、うその情報に騙され精神がおかしくなってしまったのだと今では思います。

 たとえ神様を信じていなかったときに犯した罪でも、霊は腐りますし、神様は公平な方です。皆さんも自分の罪を悔い改め、より高い次元に霊を成長させられるようにお祈りしています。